十一月 … 今月の言葉
九月一日 … 今月の言葉
終戦の日に当たって
前回の更新の折に、菅首相の談話に対する反対署名についてのお知らせを致しましたが、残念ながら閣議決定されてしまいました。憤りを禁じえないのは拙だけではないでしょう。
この政権は日本をどうしたいのでしょう、中国や韓国の属国にでもしたいのでしょうか。自虐的歴史観を持った人達にこの国を任せるのは如何なものか、稚拙な政策ではこの国を正しい道へと舵取りは出来ないと思います。
外務大臣が口火を切り、その後「閣僚全てが8月15日の参拝はしない」と発表しましたが、先人に感謝も出来ない内閣にこの国は任せられないと思います。
一方、自民党谷垣総裁は靖国参拝を表明されていますが、多少なりとも溜飲が下がる思いです。
政治の話しは程々にして、お時間のある方は是非とも靖国神社へご参拝ください、そして今ある日本の繁栄と平和の礎となられた方々へ感謝の誠を捧げ、日本国をお護りいただけるようにご祈念ください。
英霊は嘆いていらっしゃる事と思います、日本中が静かに哀悼の意を表すべき日に国民挙って先人に感謝できない今の日本を作るために命を捧げたわけではないと。
拙は本日、正式参拝をさせて頂く為に靖国神社へ行ってまいります。そして日本の国を正しい道にお導き頂ける様に祈ってまいります。神道には遥拝といって遠く離れたところから、心を以ってお祈りする方法があります。ご自宅からでも結構です、英霊に哀悼の気持ちをお示し頂けましたら幸甚に存じます。
余談になりますが八月十五日は本来日本の停戦が決まった日で、本当の終戦は九月二日に日本政府の全権大使・重光葵外務大臣がミズーリ号艦上で、降伏文書に調印した時が終戦になります。しかしながら昭和大帝陛下のご英断所謂『玉音放送』が当時の人々に大きな衝撃を与え、その日を終戦記念日としたことが今に伝わっているのです。
この政権は日本をどうしたいのでしょう、中国や韓国の属国にでもしたいのでしょうか。自虐的歴史観を持った人達にこの国を任せるのは如何なものか、稚拙な政策ではこの国を正しい道へと舵取りは出来ないと思います。
外務大臣が口火を切り、その後「閣僚全てが8月15日の参拝はしない」と発表しましたが、先人に感謝も出来ない内閣にこの国は任せられないと思います。
一方、自民党谷垣総裁は靖国参拝を表明されていますが、多少なりとも溜飲が下がる思いです。
政治の話しは程々にして、お時間のある方は是非とも靖国神社へご参拝ください、そして今ある日本の繁栄と平和の礎となられた方々へ感謝の誠を捧げ、日本国をお護りいただけるようにご祈念ください。
英霊は嘆いていらっしゃる事と思います、日本中が静かに哀悼の意を表すべき日に国民挙って先人に感謝できない今の日本を作るために命を捧げたわけではないと。
拙は本日、正式参拝をさせて頂く為に靖国神社へ行ってまいります。そして日本の国を正しい道にお導き頂ける様に祈ってまいります。神道には遥拝といって遠く離れたところから、心を以ってお祈りする方法があります。ご自宅からでも結構です、英霊に哀悼の気持ちをお示し頂けましたら幸甚に存じます。
余談になりますが八月十五日は本来日本の停戦が決まった日で、本当の終戦は九月二日に日本政府の全権大使・重光葵外務大臣がミズーリ号艦上で、降伏文書に調印した時が終戦になります。しかしながら昭和大帝陛下のご英断所謂『玉音放送』が当時の人々に大きな衝撃を与え、その日を終戦記念日としたことが今に伝わっているのです。
お知らせ
本来ならば神職が政治的な活動をすべきではないと常々思っておりますが、少しでも多くの方々に知って頂きたい事実がございますのでここにお知らせ致します。
なおこの記事は我が同胞よりのメールを転載しております、今後この様なお知らせを折に触れて掲載させて頂く事がございます、宜しくお願い申し述べます。
安倍晋三会長、平沼赳夫顧問の『創生「日本」』が、日韓併合百年の総理談話発表に反対する声明を発表するとともに、反対の署名活動を展開しています。是非ご協力をお願いします。
◆創生「日本」HP
http://www.sosei-nippon.jp/
◆「日韓併合百年」における政府の対応に対する声明
http://sosei-nippon.jp/data/report100805.pdf
◆「日韓併合百年」における政府の対応に対する共同声明
http://sosei-nippon.jp/data/report100806.pdf
◆署名は創生「日本」HPの「賛同者署名フォーム」をクリック。 「セキュリティで保護されたWEBページコンテンツのみを表示しますか?」の警告が出る場合は「いいえ」を選択して下さい。
-------------------------------------------------------------
「日韓併合百年」における政府の対応に対する声明
政府は、七月十六日、今月二十九日に「日韓併合百年」を迎えるに当たり、菅首相の「談話」を検討している旨、明らかにした。
また、仙谷官房長官は、同月七日、同じく「日韓併合百年」に当たり、韓国との戦後処理の問題につき、「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか」とし、日韓関係の改善に向け「新たな個人補償」を政府として検討するが如き考えを示した。
しかし、もしこのような方向で政府の対応がなされるとすれば、ことはきわめて重大である。
まず第一に、歴史の評価は基本的に歴史家に任せるべきであり、歴史認識について政府が特定の認識を示すことは慎むべきである。政府の見解であれば、真実の探求よりも、外交的、政治的配慮に重点を置かざるを得なくなるのは自明の理である。また、このような配慮によって問題が決着しないことは、過去の河野談話、村山談話の経緯が示すところでもある。
第二に、韓国との戦後処理の問題は、既に日韓請求権協定において、「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題」は「完全かつ最終的に解決された」とされている。「新たな個人補償」の可能性を提起すること自体、この原則を覆し戦後処理の根幹を否定することであり、わが国民が放棄した請求権を含め、解決した問題を再び蒸し返すことにもつながりかねない。
「日韓併合百年」に当たっての政府の動きは、両国関係を損いこそすれ、何ら益するものではないのみならず、国民や歴史に対する重大なる背信でもあり、断じて容認できるものではない。
われわれはかかる動きは断固として阻止されるべきものであることを表明し、国民に対し広く呼びかけるものである。
平成二十二年八月五日
創生「日本」
-------------------------------------------------------------
共同声明
私たちは、創生「日本」の声明(別紙)を踏まえ、「日韓併合百年」に当たり、菅総理が「談話」を軽率に発表しようとすることに対し断固反対を表明するとともに、広く国民の方々に反対運動を呼びかけるものである。
平成二十二年八月六日
(賛同者)
たちあがれ日本代表平沼 赳夫
日本創新党党首山田 宏
創生「日本」会長 安倍 晋三
神奈川県知事 松沢 成文
埼玉県知事 上田 清司
前横浜市長 中田 宏
ジャーナリスト 櫻井 よしこ
杏林大学名誉教授 田久保 忠衛
京都大学大学院教授 中西 輝政
高崎経済大学教授 八木 秀次
なおこの記事は我が同胞よりのメールを転載しております、今後この様なお知らせを折に触れて掲載させて頂く事がございます、宜しくお願い申し述べます。
安倍晋三会長、平沼赳夫顧問の『創生「日本」』が、日韓併合百年の総理談話発表に反対する声明を発表するとともに、反対の署名活動を展開しています。是非ご協力をお願いします。
◆創生「日本」HP
http://www.sosei-nippon.jp/
◆「日韓併合百年」における政府の対応に対する声明
http://sosei-nippon.jp/data/report100805.pdf
◆「日韓併合百年」における政府の対応に対する共同声明
http://sosei-nippon.jp/data/report100806.pdf
◆署名は創生「日本」HPの「賛同者署名フォーム」をクリック。 「セキュリティで保護されたWEBページコンテンツのみを表示しますか?」の警告が出る場合は「いいえ」を選択して下さい。
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「日韓併合百年」における政府の対応に対する声明
政府は、七月十六日、今月二十九日に「日韓併合百年」を迎えるに当たり、菅首相の「談話」を検討している旨、明らかにした。
また、仙谷官房長官は、同月七日、同じく「日韓併合百年」に当たり、韓国との戦後処理の問題につき、「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか」とし、日韓関係の改善に向け「新たな個人補償」を政府として検討するが如き考えを示した。
しかし、もしこのような方向で政府の対応がなされるとすれば、ことはきわめて重大である。
まず第一に、歴史の評価は基本的に歴史家に任せるべきであり、歴史認識について政府が特定の認識を示すことは慎むべきである。政府の見解であれば、真実の探求よりも、外交的、政治的配慮に重点を置かざるを得なくなるのは自明の理である。また、このような配慮によって問題が決着しないことは、過去の河野談話、村山談話の経緯が示すところでもある。
第二に、韓国との戦後処理の問題は、既に日韓請求権協定において、「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題」は「完全かつ最終的に解決された」とされている。「新たな個人補償」の可能性を提起すること自体、この原則を覆し戦後処理の根幹を否定することであり、わが国民が放棄した請求権を含め、解決した問題を再び蒸し返すことにもつながりかねない。
「日韓併合百年」に当たっての政府の動きは、両国関係を損いこそすれ、何ら益するものではないのみならず、国民や歴史に対する重大なる背信でもあり、断じて容認できるものではない。
われわれはかかる動きは断固として阻止されるべきものであることを表明し、国民に対し広く呼びかけるものである。
平成二十二年八月五日
創生「日本」
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共同声明
私たちは、創生「日本」の声明(別紙)を踏まえ、「日韓併合百年」に当たり、菅総理が「談話」を軽率に発表しようとすることに対し断固反対を表明するとともに、広く国民の方々に反対運動を呼びかけるものである。
平成二十二年八月六日
(賛同者)
たちあがれ日本代表平沼 赳夫
日本創新党党首山田 宏
創生「日本」会長 安倍 晋三
神奈川県知事 松沢 成文
埼玉県知事 上田 清司
前横浜市長 中田 宏
ジャーナリスト 櫻井 よしこ
杏林大学名誉教授 田久保 忠衛
京都大学大学院教授 中西 輝政
高崎経済大学教授 八木 秀次
八月一日 … 今月の言葉

生命の言葉
世々(よよ)のおやの 御かげ忘るな 代々(よよ)のおやは 己が氏神 己が家の神
玉鉾百首の一首。先祖の恩を忘れてはいけない。ご先祖さまは自分たちの氏神、家の神である。常に先祖を敬い感謝をしてこそご先祖様は守ってくださる。
-本居宣長-
享保十五年(1730)~享和元年(1801)江戸後期の国学者。伊勢松坂の木綿業 小津定利(おづさだとし)の次男。宝暦十三年(1763)賀茂真淵(かものまぶち)に入門。さらに上古学に傾注して『古事記伝』を完成。古道論 『直毘霊(なおびのみたま)』 学問論 『初山踏(ういやまぶみ)』 随筆 『玉勝間(たまかつま)』 などを著している。
※補足
現在は町や地域を守る神社を氏神さまと言うのが慣例になっていますが、本来そのような神社は産土神社と言い、分かり易く言えば鎮守さまのことを産土神と言います。
そして氏神とはその一族の祖先神を祀る神社を表す言葉です。奈良の春日大社は藤原一族の氏神として知られています。
今月の言葉は、ご先祖様はそれぞれの家の祖先神であり、辿れば氏神様に繋がっている事を説いています。
お詫び
ご無沙汰を致しております。
私の不手際により管理画面にログイン出来なくなって居りました、お恥ずかしいかぎりです。
今後再開させていただきますので、宜しくお願い申し上げます。
先ずはご挨拶まで。
私の不手際により管理画面にログイン出来なくなって居りました、お恥ずかしいかぎりです。
今後再開させていただきますので、宜しくお願い申し上げます。
先ずはご挨拶まで。
四月 … 今月の言葉

一日は一日より 新たならんことを欲す
一日一日は常に新たな気持ちを抱いて過ごしていかなければいけない。昨日の自分と今日の自分とは同じであるというのでは進歩がない。 『古学先生文集』
-伊藤 仁斎 (いとう じんさい)-
寛永四年 (一六二七) ~ (一七〇五) 江戸前期の儒学者、古義学派の創始者。京都堀川生まれで鶴屋七衛門の子。
従来学んできた朱子学に疑問を抱き、論語、孟子の真義をつかんで仁義の実践を求める古義学を首唱した。著に 『論語古義』 『孟子古義』 『語孟字義』 など。
※暮れ・正月・その他の行事から、年度替りで忙しくしておりました。更新が遅れ済みません。※
※今回の画像が見にくくて済みません※
十二月 … 今月の言葉
勤労感謝の日
神社参拝の作法 第1回


手前で立ちどまります。
そこで一礼をします。そ
の後、一歩進み柄杓(ひ
しゃく)を手に取ります。
… 左下に進む。

柄杓を右手に持ち水を汲みます。
まず左手を漱ぎ、柄杓を左手に持ち替え次に右手を漱ぎます。
次に柄杓の水を左手に受け、その水を用いて口を漱ぎます。
(柄杓に口を付けてはいけません)

再び左手を漱ぎ、最後に柄杓を立て、残った水で柄杓の柄を清めます。
一歩下がって手を拭き、一礼をして手水を終わります。
水が無くなりましたら適宜汲み直していただいて結構です。
(私は一杯で済ませます)
以上が手水の作法です。次回の神社参拝の折に、実践されてみては如何でしょうか。
ただ前述しましたが、柄杓に直接口を付ける事は厳禁です。衛生上よくありませんし、次の方にも迷惑が掛かりますからね。
質問がありましたら、メッセージからお問い合わせください、解かる範囲でお答えします。但し、更新が不定期ですので回答が遅れる事もございますので、予めご了承ください。
慶祝 明治節
祝 七五三

七五三はお宮参りに続く、子供時分の人生儀礼「髪置(かみおき)」・「袴着(はかまぎ)」・
「帯解き(おびとき)」の三つのお祝い事を起源としています。
■「髪置き」は三歳の男児・女児ともに、今まで剃っていた髪をこの日から伸ばし始める儀式。
■「袴着」は五歳の男児が初めて袴を着ける儀式。
■「帯解き」は七歳の女児が着物の付け紐を取り去り帯に替える儀式。
現在ではその年齢にあたる子供に晴れ着を着せて、十一月十五日に氏神様に参拝し、子供の健康と成長を感謝すると共に、今後の健康と更なる成長を祈願する儀礼となりました。
また三歳児のお祝いを女児のみのお祝いとお考えの方が増えてきておりますが、前述の通り男児・女児に関わらず行う事が肝要かと存じます。なお年齢は本来数え年でお祝いしますが、最近では満年齢で行う割合も高くなり、また参拝の日取りも十一月十五日にこだわらず、その前後の都合のよい日に参拝する傾向が強くなってきました。
しかし今年の十五日はちょうど日曜日にあたります、大勢のご家族にご参拝いただけると良いなと思っております。
三歳の男の子さんは、このようなスタイルでも宜しいかと思います。
十一月一日 … 今月の言葉

親思う 心にまさる 親心
今日の音ずれ なんと聞くらむ
親はどのような気持ちで子どものことを思っているのか。親というものは子どもが親を思う以上に、子どものことが気にかかるものである。
-吉田 松陰-
天保元年~安政六年(1830~1859)。江戸時代末期の勤王の志士、思想家、教育家。長門国(山口県)萩で長州藩下士の杉田百合之助の次男として生まれた。天保五年(1834)五歳のときに山鹿流兵学師範で叔父の吉田大助の養子となる。安政四年(1857)松下村塾を開塾し、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などを教育した。安政の大獄により江戸の伝馬町牢屋敷へ送られ、安政六年(1859)刑死。明治十五年(1882)東京都世田谷区に松陰神社が創建された。
平成二十一年 「神輿のある風景」
大変遅くなりましたが、九月の当社例大祭のご報告を致します。
当社の例大祭式に先がけて、九月十二日(土)西麻布霞町町会に依って神振行事である町神輿の渡御が執り行われました。
午前中は生憎の雨模様で、予定されていた子供神輿の渡御は残念ながら中止となりましたが、午後からの神輿の渡御は予定通り行われました。
写真は神社鳥居前でお神輿を差し上げているところです。
世話人ばかりではなく参加者が一丸となって協力し合っているところが、神職として喜ばしく思います。大神様にもさぞお楽しみ頂けた事でしょう。
こちらは、六本木ヒルズ グランドハイアット東京 の玄関前です。こちらのホテルはお祭りへの理解が深く、毎年お神輿の休憩場所としてご協力を頂いております。
一人壇上に見えるのは、ハイアットの総料理長ジョセフ・ブデさんです。オープン以来お神輿へは欠かさず参加してくれています。彼自身も楽しみにしていて呉れている様で、祭りが近付くと「みこ~し、みこ~し」と言って、肩は痛いけど楽しみだと言ってくれています。今年は念願叶っての手締めの先導です。拍子木を手に一本締めです「皆様お手を拝借」。
その後おやつの休憩で、ハイアットさん心尽くしのお料理と飲み物の振る舞いがありました。ブデさんはじめグランドハイアットの皆さん 毎年有難う御座います。
渡御も後半へと続きます、最近は女性の担ぎ手さんも増えましたね。
ここは六本木通りを渋谷方面へ向かっているところで、上を走るのは首都高速3号渋谷線です。
ご覧の通り都心部での祭りはコンクリートの杜を抜けていきます、もっと空が広ければ清々しさも違ってくると思うのは私だけではないでしょう。
ここは西麻布の交差点です、子供が上に乗っていますが大目に見ましょう。子供ですからね。
以前この辺りを、当社の旧称「霞山稲荷明神社」にちなみ霞町と呼んでいました。今では町会名にしかその名前が残っていないのが残念です。
そう言えば池波正太郎先生の「剣客商売」の中にも、この「霞山稲荷明神」が出てきます。江戸名所図会にも当社の記載があります、お時間ご興味のある方は是非ご一読を。
先にも触れましたが、時折 神輿の上に乗る輩がいますが許されざる行為です。それがもとで宮神輿の渡御を中止した神社もあると聞いています。
神様と同じ高さに立って、神様にお尻を向けているわけですから失礼極まりない事です、もし自分が同じ事をされたら烈火の如く怒るんでしょうねそう言う人達は。
お祭りに限らず、ご神前でご祈願をされる方にも失礼な方が居て、Tシャツにジーンズとか ようは普段着です。もしも貴方が実社会で誰かに頼みごとをしなくてはいけない時、普段着で行きますか?少なくとも上着を着て、それなりに身づくろいを整えて行くのが普通だと思います。
人様に物を頼むのと、ご神前にご祈願をする事を一概に同じ扱いはできない部分もありますが、礼儀という点においては変わらないと思います。
なにやらつらつらと筆を走らせてしまいましたが、このお話は機会を改めて、もう少し掘り下げてみたいと思います。
話が大分それましたが、このあと神輿は町会のお神酒所へと納められました。
以上が今年の町神輿渡御のご報告です。
なお当社例大祭式も九月二十二日午前十一時より、大勢の方々にご参列を頂き無事に斎行されました。あわせてご報告申し上げます。
昨年 写真撮影が一人では難しいと書きましたが、その記事を読んだ友人「竹中工務店」の桝森氏が、今年の撮影に協力をしてくれました。この場を借りて感謝の意を表します。また一杯やりましょう。
記事の最後になりましたが、ご奉納を頂きました氏子総代・氏子崇敬者の皆様方のお蔭様を持ちまして、諸祭儀滞りなくお納めする事ができました、偏に皆様方のご敬神の賜物と深く感謝申し上げますと共に、ご家族ご一族のご繁栄とご健勝をお祈り申し上げます。有難う御座いました。
当社の例大祭式に先がけて、九月十二日(土)西麻布霞町町会に依って神振行事である町神輿の渡御が執り行われました。

写真は神社鳥居前でお神輿を差し上げているところです。
世話人ばかりではなく参加者が一丸となって協力し合っているところが、神職として喜ばしく思います。大神様にもさぞお楽しみ頂けた事でしょう。

一人壇上に見えるのは、ハイアットの総料理長ジョセフ・ブデさんです。オープン以来お神輿へは欠かさず参加してくれています。彼自身も楽しみにしていて呉れている様で、祭りが近付くと「みこ~し、みこ~し」と言って、肩は痛いけど楽しみだと言ってくれています。今年は念願叶っての手締めの先導です。拍子木を手に一本締めです「皆様お手を拝借」。
その後おやつの休憩で、ハイアットさん心尽くしのお料理と飲み物の振る舞いがありました。ブデさんはじめグランドハイアットの皆さん 毎年有難う御座います。

ここは六本木通りを渋谷方面へ向かっているところで、上を走るのは首都高速3号渋谷線です。
ご覧の通り都心部での祭りはコンクリートの杜を抜けていきます、もっと空が広ければ清々しさも違ってくると思うのは私だけではないでしょう。

以前この辺りを、当社の旧称「霞山稲荷明神社」にちなみ霞町と呼んでいました。今では町会名にしかその名前が残っていないのが残念です。
そう言えば池波正太郎先生の「剣客商売」の中にも、この「霞山稲荷明神」が出てきます。江戸名所図会にも当社の記載があります、お時間ご興味のある方は是非ご一読を。
先にも触れましたが、時折 神輿の上に乗る輩がいますが許されざる行為です。それがもとで宮神輿の渡御を中止した神社もあると聞いています。
神様と同じ高さに立って、神様にお尻を向けているわけですから失礼極まりない事です、もし自分が同じ事をされたら烈火の如く怒るんでしょうねそう言う人達は。
お祭りに限らず、ご神前でご祈願をされる方にも失礼な方が居て、Tシャツにジーンズとか ようは普段着です。もしも貴方が実社会で誰かに頼みごとをしなくてはいけない時、普段着で行きますか?少なくとも上着を着て、それなりに身づくろいを整えて行くのが普通だと思います。
人様に物を頼むのと、ご神前にご祈願をする事を一概に同じ扱いはできない部分もありますが、礼儀という点においては変わらないと思います。
なにやらつらつらと筆を走らせてしまいましたが、このお話は機会を改めて、もう少し掘り下げてみたいと思います。
話が大分それましたが、このあと神輿は町会のお神酒所へと納められました。
以上が今年の町神輿渡御のご報告です。
なお当社例大祭式も九月二十二日午前十一時より、大勢の方々にご参列を頂き無事に斎行されました。あわせてご報告申し上げます。
昨年 写真撮影が一人では難しいと書きましたが、その記事を読んだ友人「竹中工務店」の桝森氏が、今年の撮影に協力をしてくれました。この場を借りて感謝の意を表します。また一杯やりましょう。
記事の最後になりましたが、ご奉納を頂きました氏子総代・氏子崇敬者の皆様方のお蔭様を持ちまして、諸祭儀滞りなくお納めする事ができました、偏に皆様方のご敬神の賜物と深く感謝申し上げますと共に、ご家族ご一族のご繁栄とご健勝をお祈り申し上げます。有難う御座いました。
十月一日…今月の言葉

「一日延ばしは 時の盗人」
この言葉は「上田敏」唯一の創作小説『うずまき』の中の一節。「時は金なり」「一寸の光陰軽んずべからず」などとするべきところを「時の盗人」と強い表現をしたところに名言としての価値がある。貴方も私も、時の盗人にならない様に注意しましょう。
-上田 敏(うえだ びん)-
明治7年~大正5年(1874~1916)。明治時代の詩人、文学者、評論家、翻訳家。幕臣 上田 絅二 (けいじ) の長男として東京築地に生まれた。東京帝國大学英文科卒業。
青年期より西欧文学の翻訳紹介に努め、明治28年『帝國文学』の創刊を参画する。「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う」カール・ブッセなどの名訳詞は今なお広く知られている。
長々と中断をしておりましたが再開させて頂きます、本年の例大祭の様子も近々にお知らせいたします。今後とも宜しくお願いいたします。
-お詫び-
秋祭り-神輿のある風景

寄せへ神輿が到着した時の画像です。馬に乗って拍子
木を打っているのは、ハイアットのゼネラルマネージャーさ
んです。今年は近隣神社とお祭りが重なってしまい、担ぎ
手さんの数が少なかった様ですが、写真の中にもハイア
ットのスタッフの顔がちらほらと見え、みんな楽しみにして
いてくれる事が分かります。

の総代さんです。若干一名不届き者が写っていますが、
この時は気が付かず来年の神輿委員の方々には、厳重
に目を配る様に申し送りをしなくてはと思っています。この
あとハイアットさんご好意の軽食と飲み物の振る舞いに
皆さん大満足の様子、元気いっぱいに後半の渡御に出
発して行きました。

風景です、お父さんお母さんの言う事を良く聞いてみんな
早く大きくなって大人の御神輿も担ぎにきてね。
今年のお祭りは各町町会の神振行事を含めると十日間
の長丁場でしたが、皆さんのご協力により万事滞りなくお
治めする事が出来ました、この場をお借りしてお礼申し上
げます。
お祭りの風景は自分で撮影できないのでご覧いただける様な写真が少なくて済みません、来年は写真班を作らな
いとだめですね。
十月一日…今月の言葉
秋祭りシーズン
秋祭りは一般と概念が違うと思いますが、7月~9月に行われる祭りを言います。
これは、俳句の季語を参考にして頂ければ、宜しいかと思います。つまり1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬となります。
詳しい事は専門家にお任せするとして、今月は私の奉仕神社の例祭(企業で言えば創立記念日の様なもの)があります。当社の例祭は22日ですが、当日は氏子・崇敬者の方々参列の中、厳粛に祭儀が斎行されます。
お祭りと言えば、御神輿が付き物ですが、都会の真中という土地柄からか外国人の担ぎ手もいて、私の友人の外国人達は毎年この季節を楽しみにして居るようで、会う度に「MIKOSI」が、合言葉の様に交わされます。
残念な事に、当社の宮神輿は戦災で消失してしまいましたが、13日午前中には町内の子供神輿、午後からは大人の神輿があがる予定です。担ぎ手が少ないので町の世話人達も苦労している様です。
担ぎ手と言うと、身体に絵の描いてある方たちを、お見受けしますが、見ていてあまり良いものではありませんね。もちろん当社に関係する御神輿には、お入り頂けませんが…。
都市化が進んできて、夜店が出る様な事も無くなってしまいましたが、いつかまた活気溢れる祭りが出来れば良いなと奮闘しています。
13日の大人神輿と子供神輿の様子は、後日お知らせします。
これは、俳句の季語を参考にして頂ければ、宜しいかと思います。つまり1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬となります。
詳しい事は専門家にお任せするとして、今月は私の奉仕神社の例祭(企業で言えば創立記念日の様なもの)があります。当社の例祭は22日ですが、当日は氏子・崇敬者の方々参列の中、厳粛に祭儀が斎行されます。
お祭りと言えば、御神輿が付き物ですが、都会の真中という土地柄からか外国人の担ぎ手もいて、私の友人の外国人達は毎年この季節を楽しみにして居るようで、会う度に「MIKOSI」が、合言葉の様に交わされます。
残念な事に、当社の宮神輿は戦災で消失してしまいましたが、13日午前中には町内の子供神輿、午後からは大人の神輿があがる予定です。担ぎ手が少ないので町の世話人達も苦労している様です。
担ぎ手と言うと、身体に絵の描いてある方たちを、お見受けしますが、見ていてあまり良いものではありませんね。もちろん当社に関係する御神輿には、お入り頂けませんが…。
都市化が進んできて、夜店が出る様な事も無くなってしまいましたが、いつかまた活気溢れる祭りが出来れば良いなと奮闘しています。
13日の大人神輿と子供神輿の様子は、後日お知らせします。